東京地方裁判所 平成7年(行ウ)103号 判決 1997年9月25日
主文
一 原告の請求を棄却する。
二 訴訟費用は、原告の負担とする。
理由
【事実及び理由】
第一 請求
被告らが平成七年五月八日付けで原告に対して行った公文書非開示決定のうち、平成六年六月二〇日開催の「第一二回会計検査院・東京都監査事務局定期協議の開催について」と題する文書中、会計検査院の出席者の第五順位者の肩書及び氏名に係る非開示決定部分を取り消す。
第二 事実の概要等
一 事案の概要
本件は、原告が、東京都公文書の開示等に関する条例(昭和五九年条例第一〇九号、以下「本件条例」という。)に基づき、被告らに対して、平成六年四月一日から平成七年一月三一日までの会議、懇親会等の会合に支出された支出命令書、起案文書、領収書を含む公文書の開示を求めたところ、被告らが平成七年五月八日付けでこれを非開示とする決定(以下「本件決定」という。)をしたことから、本件決定に係る公文書のうちその後に開示された部分を除くものについて本件決定の取消しを求めるものである。
二 本件条例の規定
本件条例一条は、本件条例の目的が公文書の開示を請求する都民の権利を明らかにするとともに、情報公開の総合的な推進に関し必要な事項を定め、都民と都政との信頼関係を強化することなどにある旨を明らかにし、本件条例二条一項は、地方自治法及び地方公営企業法等により独立して事務を管理する機関を列挙し、これを公文書の開示を実施する機関(以下「実施機関」という。)とし、その一つとして、監査委員を掲げ、同条二項は、実施機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書、図画、写真、フィルム及び磁気テープであって、実施機関において定めている事案決定手続が終了し、実施機関が管理しているものを「公文書」と定め、本件条例五条一号は、東京都の区域内に住所を有する者は実施機関に対して公文書の開示を請求できることを定めている。
そして、本件条例三条は、実施機関は、本件条例の解釈及び運用に当たっては、公文書の開示を請求する都民の権利を十分に尊重するとともに、個人に関する情報がみだりに公にされることがないよう最大限の配慮をしなければならない旨を規定し、本件条例九条は「個人に関する情報(事業を営む個人の当該事業に関する情報を除く。)で特定の個人が識別され得るもの(以下「個人情報」という。)」は実施機関が開示をしないことができる旨(同条二号本文)及び「イ 法令等の定めるところにより、何人でも閲覧することができる情報、ロ 実施機関が作成し、又は取得した情報で公表を目的としているもの、ハ 法令等の規定に基づく許可、免許、届出等の際に実施機関が作成し、又は取得した情報で開示することが公益上必要であるもの」に該当する場合には個人情報に該当する場合であっても、これを開示すべき旨(同条二号ただし書)を規定している。
三 当事者間に争いのない事実等
1 原告は、頭書肩書地に住所を有する者である。被告らは、その管理する公文書の開示に関する実施機関である。
2 原告は、平成七年三月八日、被告らに対して、本件条例に基づき、次の公文書の開示を請求した。
(一) 平成六年四月一日から平成七年一月三一日までの会議、懇親会等の会合に支出された支出命令書、起案文書及び領収書
(二) 平成六年五月一八日開催された監査委員協議会の出席者の名簿
(三) 前記(二)記載の協議会の開催に係る京王プラザホテル(以下「京王プラザ」という。)の本物の領収書
(四) 前記(二)記載の協議会の際に出席者が宿泊したホテルの領収書
(五) 東京都監査委員が京王プラザに宿泊した時の宿泊命令書及び旅費を支払う根拠となった文書
3 被告らは、前項の請求に対して、平成七年五月八日付けをもって、本件決定をし、そのころ、原告にその旨を通知した。
4 原告は、平成七年五月一八日、本件決定を不服として、本訴を提起した。
5 本訴提起後、被告らは、本件決定によって非開示とされた公文書を順次開示し、本件の口頭弁論終結時においては、平成六年六月二〇日開催の「第一二回会計検査院・東京都監査事務局定期協議の開催について」と題する文書(以下「本件文書」という。)中、会議、懇親会の出席者のうち会計検査院側の第五順位者の肩書及び氏名のみが非開示となっている(右会議、懇親会をそれぞれ「本件会議」、「本件懇親会」といい、右非開示に係る部分を「本件非開示部分」という。以下同じ。)。
四 争点及び争点に関する当事者の主張
本件の争点は、本件非開示部分が本件条例九条二号の個人情報に該当するか否か、これに該当する場合に同号ただし書(以下単に「ただし書」として引用する。)イないしハに該当するか否かにあり、この点に関する当事者の主張は次のとおりである。
1 被告ら
個人情報は、ただし書イないしハに該当する部分を除き、これをすべて非開示としなければならないものである。
そして、本件文書中の会議、懇親会への出席者の肩書及び氏名は、個人情報である。
ところで、本件非開示部分以外の記載は、公務員が公務の遂行として出席したものであり、その情報を公にすることが要請されるとともに、開示により社会通念上個人のプライバシーが侵害されるおそれがないと認められることから、ただし書ロの「実施機関が作成し、又は取得した情報で公表を目的としているもの」に該当する。
しかし、本件非開示部分は、実際に出席していない者の肩書及び氏名を記載した部分であり、それ自体が虚偽の情報であり、不正経理に係るものとして所要経費を返還した部分に係るものであるところ、このような情報を開示した場合には、肩書及び氏名を冒用された当該個人(以下「被冒用者」という。)に耐え難い不快の念を抱かせ、周囲から好奇の目で見られ、あるいは憶測等によって事実上個人の私生活の平穏を害されるという不利益を与えるとともに、その名誉を故なく傷つけることが予想されるのであって、本件非開示部分は、ただし書イないしハのいずれにも該当しない。
2 原告
個人情報とは、思想、心身の状況、病歴、学歴、職歴、成績、親族関係、所得、財産の状況その他一切の個人に関する情報をいうが、公務員の職務上の情報は個人情報には該当しない。
そして、公文書公開の目的は、職員が作成した文書、現実に作成された行政情報の開示自体が目的であり、当該職員が記載した内容の真否によって判断を別にすべきものではないから、仮に公務員たる出席者の肩書及び氏名が冒用された虚偽の記載であるとしても、そのこと自体は、個人情報該当性の判断に影響を及ぼすべきものではない。
さらに、被告らにおいて、公務員たる出席者の肩書及び氏名を冒用し、虚偽の記載をなしたことを認めている場合には、当該記載は被冒用者個人の情報とはいえず、したがって、これを開示しても被冒用者のプライバシーが侵害されるおそれはない。仮に被冒用者が、右情報が開示されたことにより、不快感を抱き、事実上名誉を棄損されることがあるとしても、それに対しては、かかる虚偽記載をした者の責任を問い、東京都として虚偽記載の事実を明らかにして、被冒用者に対して謝罪、賠償をする等の対応をすべきものである。
以上のとおり、個人情報を非開示とする趣旨が個人の尊厳、基本的人権の尊重の立場から個人のプライバシーを最大限に保護することにあることに照らしても、他人の肩書及び氏名を冒用したことをもって、公文書を公開しない理由とすることはできないというべきである。
第三 当裁判所の判断
一 公文書の開示請求は、都民と都政との信頼関係を強化し、地方自治の本旨に即した都政を推進することを目的として本件条例によって創設された都民の権利であり(一条)、その権利の内容も本件条例によって定められるものである。
ところで、本件条例において、個人情報が非開示とされる(九条二号)理由は、個人に関する情報がみだりに公にされることがないようにとの配慮に基づくものであると解され(三条参照)、原告も主張するとおり、公文書の開示においても、個人のプライバシーは個人の尊厳、基本的人権の尊重の立場から最大限に保護されるべきものである。もっとも、いわゆるプライバシーの意義、範囲については明確な判断基準が確立しているものではなく、その情報の客観的内容あるいは開示される状況、当該個人の置かれた状況等によって具体的に判断すべきものであって、一律には決し難いものといわざるを得ない。そこで本件条例九条二号本文は、プライバシーの概念を用いることなく「個人に関する情報」を非開示とし、当該情報がプライバシーに関するものであると明らかに判別することができる場合はもとより、プライバシーに関するものと推認できる場合をも含めて、思想、心身の状況、病歴、学歴、職歴、親族関係、所得、財産の状況その他一切の個人に関する情報で特定個人が識別されるものを非開示情報とし、その上でただし書イないしハにおいて、開示によって更なるプライバシーの侵害のおそれがない情報又は情報の性質若しくは公益上の必要から当該個人において公表を受忍すべき情報をその例外としたものと解される。
しかし、本件条例九条各号列記以外の部分が「次の各号のいずれかに該当する情報が記載されているときは、当該公文書に係る公文書の開示をしないことができる」と規定していることからすれば、実施機関は、個人のプライバシーの保護及び情報公開による都民と都政の信頼関係の醸成という要請に配慮した上で、同条各号に該当する情報であっても裁量によって開示することが認められており、また、ただし書ロにいう「公表を目的とした情報」には「公にすることが慣行となっていて、公表しても社会通念上個人のプライバシーを侵害するおそれがないと認められる情報」が含まれるものとして本件条例が運用されていることからすれば、形式的には個人情報に該当するものであっても、公表することにより社会通念上個人のプライバシーを侵害するおそれがなく個人のプライバシーに関するものと推認することができない情報については、実質的に本件条例が保護しようとしている個人情報に該当しないとし、あるいは、ただし書イないしハに該当するとする見解もあり得るところである。
そして、社会通念上個人のプライバシーを侵害するおそれがなく個人のプライバシーに関するものと推認することができない個人情報としては、公務員の本来の職務の遂行に係る情報に含まれる当該公務員の職及び氏名に関する情報の多くが含まれるものと解される。けだし、右情報は、当該公務を執行した者を特定し、場合によっては公務上の責任の所在を明示するために表示されるものであって、それ以上に当該公務員の個人としての行動ないし生活に関する意味合いを含むものでないことが通常であるからである。しかし、本件条例九条の趣旨に照らせば、公務員の職務の遂行に係る当該公務員の職及び氏名に関する情報であっても、プライバシー侵害のおそれがあるとき、又はプライバシーの侵害となるか否かが不明である場合には、本件条例によって保護しようとしている個人情報に該当し、ただし書イないしハに該当すると解することもできず、また、開示しないことをもって実施機関の裁量権の逸脱ということもできないというべきである。
二 これを本件について検討するに、本件文書中の本件会議及び本件懇親会への出席者に関する部分は、個人に関する情報で特定の個人が識別され得るものといえるから、出席者として記載されている者の個人情報に該当する。
そして、右情報が本来の公務として会議、懇親会に出席したことに関するものであるときは、その職及び氏名は、公務員の職務遂行に係る情報ということができ、前記説示に照らせば、開示すべきものと解する余地は大きいということができる。
しかしながら、本件非開示部分に係る公務員の職及び氏名に関する情報は、後記のとおり、本件会議に出席していない者の氏名を冒用してなされた虚偽の記載であると認められるところ、右情報が虚偽であり、氏名を冒用してなされたものであることが明らかな場合には、別段の考慮を要するというべきである。
すなわち、この場合には、当該情報は被冒用者の本来の職務に関する職及び氏名を表すものではなく、さらに、虚偽情報が記載されるに至った経過が、単なる事務手続上の過誤によるものではなく、被告らが主張するように、不正な会計処理であるときは、被冒用者は、不正な行為に氏名を冒用されたことになるが、この場合には、右不正な会計処理が行われたという情報と相まって、不正行為に被冒用者が加担したかのような外観を呈する文書が公開されることによって、被冒用者の名誉が毀損される可能性を否定することはできない。
そうだとすれば、自己の名を不正な行為に冒用されたという事実そのものは、被冒用者にとって不快な出来事であることは明らかであり、また、その公表を望まない情報であると一般的に推認することができ、他面、この情報を公開することが、被冒用者の名誉を棄損するおそれも否定することはできないのであるから、本件非開示部分の個人情報該当性を否定すべき事情はなく、ただし書イないしハのいずれにも該当せず、かつ、これを開示しないことが実施機関の裁量の範囲を逸脱しないことは明らかである。
なお、仮に実施機関が、被冒用者が不正な会計処理に加担したものでないことを外部に明らかにしたとしても、当該公開された公文書に記載された情報自体からは、当該記載に被冒用者が加担したか否かは一見して明らかではなく、かつ、実施機関において被冒用者が不正な会計処理とは無関係であることを認める旨の情報と右情報とは別に流布される可能性も高いから、事情に精通しない第三者が右情報に接した場合に、被冒用者が不正な会計処理に関係があると誤信する可能性を否定できないものであり、右情報を公開することによって、被冒用者の名誉を棄損する可能性が否定できないことは前述のとおりである。したがって、被告らにおいて虚偽情報であると自認していることから、被冒用者のプライバシー侵害が生じないとの原告主張を採用することはできない。そして、文書を公開した上で被冒用者へ謝罪する方途があるとしても、そもそも公開により新たなプライバシー侵害が予想される以上、公開を回避することが本件条例の趣旨に沿うものというべきである。
また、文書の公開の範囲が、公文書の真否によって左右されない旨の原告主張は、公文書が虚偽であるからといって当該虚偽公文書の作成に関与した公務員の職及び氏名の開示が一律に否定されるべきものではないという趣旨で一理あるものというべきである。しかし、本件で問題となっているのは、不正な会計処理に氏名を冒用された者、すなわち、当該公文書の記載事項に関知しない者のプライバシー等の保護であって、虚偽情報であること自体が非開示の理由となっているのでないから、右主張は本件に妥当するものではない。
三 原告が本件非開示部分の開示による名誉棄損等の可能性に言及しつつ、なお、開示を求める理由の一つには、氏名冒用の事実がないのに、これにこと寄せて非開示事由が主張されるという事態への危惧にあるものと解されるが、右に説示した点は、被告らの主張する氏名冒用の事実が真実であることを前提とするものであり、開示事務の実施機関において氏名冒用と主張すれば、被冒用者とされる者の職及び氏名等を非開示となし得るとするものではない。
そこで、証拠を検討するに、《証拠略》によれば、本件会議及び本件懇親会への出席者は会計検査院側七名、東京都監査事務局側八人の合計一五名として支出に関する書類が作成され、債権者である本件懇親会場経営者に対して三四万九八〇〇円の支払がされたが、真実は会計検査院側六名、東京都監査事務局側七名の合計一三名、請求額二五万七八一七円であり、支払金額において九万一九八三円の水増しが行われ、この金員は本件懇親会場経営者において預かり金として処理されていたこと、右の金員を含め不正経理により捻出された金銭は、慶弔費、監査委員・幹部職員等の飲食費及び出張経費の補填等に充てられていたこと、右不正経理の事実は、本訴係属中の平成八年一月五日から同年二月一四日までの期間に行われた調査の結果明らかになったものであること、右不正経理分については同年二月一四日戻入手続がされていることが認められ、また、本件会議及び懇親会の出席者のうち、東京都監査事務局側で虚偽記載がされたのは本件懇親会出席者として記載された八名のうちの第七順位者(本件会議出席者として記載された七名のうちの第六順位者)であり、同人は監査事務局職員として開示に同意したものと推認されること、さらに、本件非開示部分は会計検査院側の第五順位者に関する部分であるが、複数公務員の表記順序としては、その職種、所属部課、在職年数等によることが一般であることからすれば、右第五順位者はその前後の者の同等又は類似の地位にある公務員と推認され、その記載が真実である場合に他の者と区別して当該個人の職及び氏名のみをことさら秘匿すべき理由は見出し難いことを総合すると、本件非開示部分は右第五順位者の職及び氏名を冒用して記載されたものと認めることができる。
四 以上によれば、本件非開示部分について開示しないとした本件決定は適法ということになり、原告の請求は理由がないから棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官 富越和厚 裁判官 團藤丈士 裁判官 水谷里枝子)